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謎のモアイに出会う旅 イースター島 Easter Island - Rapa Nui


南太平洋のポリネシア文化圏の東端のイースター島。 島民たちが“ラパ・ヌイ”と称すイースター島は世界で一番隔絶された偏狭※に位置する島。そこにはエジプト、インカ、マヤの巨石文明と並ぶ謎の文明の栄華が残存しています。 ※人の住んでいる大陸(南米)からも3,700キロ離れています。 この周囲約60キロ(面積171平方キロ)のこの小さな島に、約900体もの石像(モアイ)が残存しています。尚、モアイ像の修復プロジェクトには日本のクレーンメーカーのタダノが大きな役割を果たし、ポリネシア考古学の権威である篠藤喜彦博士も考証に参画されるなど日本人にも縁深い地です。 周囲約58kmのこの島は、世界遺産にも指定されラパヌイ国立公園と称されています。 約4,000人の島民のたいはんはハンガロア村に定住し、彼らは自らを"ラパヌイ=Rapa Nui"と呼び、彼らの日常会話でもラパヌイ語が用いられている。

▼アクセスと島内交通
従来イースター島へは、中南米の古代文明“マヤ〜インカ〜アステカ”などの史跡探訪の終着点として、遥か北米〜南米を経由して向かう長途の旅を強いられていましたが、 今ではタヒチ(フランス領ポリネシア)を経由して渡るのが一般的です。 タヒチ / イースター島間は約4,100キロ(飛行時間は約5時間半)の距離、元々南米チリの国営航空会社であった ラン航空(1994年に民営化)の直行便が就航しています。


ラン航空の運航スケジュール


■〜2012年3月7日
パペーテ(タヒチ)→イースター島
便名 機材 パペーテ(タヒチ)発 イースター島着
LA834 ボーイング763(B767-300 ) 水 23:30 木 09:55
イースター島→パペーテ(タヒチ)
便名 機材 イースター島発 パペーテ(タヒチ)着
LA833 ボーイング763(B767-300 ) 水 21:30 水 22:30

■2012年3月13日〜
パペーテ(タヒチ)→イースター島
便名 機材 パペーテ(タヒチ)発 イースター島着
LA834 ボーイング763(B767-300 ) 火 00:20 火 09:45
イースター島→パペーテ(タヒチ)
便名 機材 イースター島発 パペーテ(タヒチ)着
LA833 ボーイング763(B767-300 ) 月 21:05 月 23:15
ラン航空の公式ホームページ掲載の時刻表と照合されますことをおすすめします。

▼イースター島観光の留意点
●意外と遠いタヒチ⇔イースター島
タヒチ / イースター島間は地球儀で見る限り近いように思えますが、 実際には日本からハワイへのフライト時間に等しく、フライト時間も6時間程度も要します。また、国や通貨も異なります上に、両方を結ぶフライトは週に2便しかありません。


( )内の時間は標準的な飛行時間


●「旅」の性格が正反対の2つの島 「何もしない贅沢!」を堪能するタヒチと「遺跡見学」のイースター島では 旅のベクトルが正反対ですので、率直なところ13日間程度の旅程で この2つを訪れますと、旅の印象が中途半端になることも否めません。 ※イースター島観光だけが目的なら13日間の日程でも大丈夫です。

●タヒチ旅行の「ついで・・・」では行けないイースター島 分かりやすく例をあげますと、アメリカから東京見物に来た観光客が 同じ西方面だからということで、<ついでに>シンガポールを訪れるような感覚です。 また、タヒチハネムーンの定番"ボラボラ島"とイースター島観光を組み込みますと、必ず移動の前後にパペーテ(タヒチ島)滞在が強いられますので、 人によっては旅の印象がチェックインとチェックアウト、入国と出国の繰り返しだった・・・なんていうことにもなりかねません。 このあたりにもご留意いただきましてイースター島訪問のご計画を進められますことを おすすめします。


▼観光スポット


島の南西部にある死火山"Rano Kau"麓のオロンゴ岬。
オロンゴ
●オロンゴ鳥人伝説(Orongo)について: 古来、島の人々は鳥人の姿をしたマケマケという神を崇拝し、春になるとこのオロンゴを舞台に「鳥人儀礼」と称されるまさに鳥人を選ぶ儀式(レース)が行われました。 儀式は、島の各氏族から選ばれた挑戦者の下、それぞれの従者に沖合いの小島=モツ・ニュイに泳いで渡らせ、海鳥であるマヌ・タラ(セグロアジサシ)がその年最初に産み落とす卵を持ち帰らせるというものです。 四囲を海に囲まれた絶海の孤島"イースター島"では、渡り鳥のマヌ・タラこそがマケマケ神のメッセンジャーであり、かつその卵にもマナと呼ばれる神秘的なパワーがあると考えられていました。
   

ビナプ(VINAPU)
ビナプ(VINAPU)
●マタベリ空港の滑走路の東端に近くのビナプにあるアフ(石組みの祭壇)は、島にあるアフのなかでも最も精巧に石組みが施され、南米インカ時代以前の石組みに酷似しているので考古学者のハイエルダールなどが島民が南米起源であるという自説を提唱したほど。 アフに立っていたモアイは今では倒された状態でプカオ(帽子)も散乱しています。半分埋まったままのモアイや、顔だけ地表に出ているモアイ、 特筆すべきはプカオと同じ赤色凝灰岩製で頭の砕かれたモアイです。
   
タハイ(Ahu Tahai) 島の中心ハンガロア村から徒歩圏内のタハイにはアフ(祭壇)が3基あり(アフ・バイウリ、アフ・タハイ、アフ・コテリク)モアイが復元されています。 特にモアイ・コテリクは頭にプカオをのせ、レプリカながら眼が埋め込まれています。 パイナと呼ばれる宗教儀式ための広場、石造の住居跡、復元された鶏小屋(タレモア)、バイナ(石が置かれた儀式の場所)なども観られます。 モアイを背景に夕陽が沈む光景は何ともエキゾチックな気分に浸れることでしょう。
タハイ(Ahu Tahai)
 

プナパウ(PUNA PAU)
プナパウ(PUNA PAU)
モアイが頭の上に載せている帽子のようなプカオが切り出された所です。プカオが現出したのは1,300年以降と考証されているようですが、島では位の高い者は髪をキエア(赤色の顔料)で染めマゲを結っていたと伝えられており、プカオは赤い石=火山性の赤色凝灰岩が採れるこのプナパウが選ばれたようです。周りの草原には切り出し中のプカオが放置されたままで、古の時を感じさせられます。
小高い山の上からはハンガロア村も一望できます。
   

バイフ(VAIHU)
バイフ(VAIHU)
17世紀頃から19世紀前半のモアイ倒し戦争により倒されたモアイ(フリモアイ)8体がうつ伏せに倒れています。 なぜ戦争したのか?については食料不足による部族間の抗争をはじめ諸説があります。
いずれにしても負けた部族の象徴でもあるモアイ像は倒され、モアイの眼にはマナ(MANA)という聖なる力があると信じられていたため、眼が抜き取られ、破壊され、さらにすべてのモアイは顔を地面に埋めるようにうつ伏せにされています。
アフ(モアイの基底部)の前にある飛び石の輪の中では葬儀が執り行われたようです。死者を布で巻き、安置した状態で数ヶ月放置し、禽獣類によって処理された後、骨だけになってから骨を海で洗ってアフに埋めたとされています。
   

アカハンガ(AKAHANGA)
アカハンガ(AKAHANGA)
フリモアイ(モアイ倒し戦争)によって倒されたままのモアイが、そのままの状態で残されています。 往時は13体のモアイが立っていて、ここには大きな集落があったと推測されています。
復元されたハレパエンガ(住居跡)にはウムパエ(カマド)の跡もあります。また、伝説の酋長(イースター島初の大王)ホツ・マツアが葬られている場所ともいわれています。
   

アカハンガ(AKAHANGA)
アカハンガ(AKAHANGA)
フリモアイ(モアイ倒し戦争)によって倒されたままのモアイが、そのままの状態で残されています。 往時は13体のモアイが立っていて、ここには大きな集落があったと推測されています。
復元されたハレパエンガ(住居跡)にはウムパエ(カマド)の跡もあります。また、伝説の酋長(イースター島初の大王)ホツ・マツアが葬られている場所ともいわれています。
   

アキビ(AKIBI)
アキビ(AKIBI)
イースター島に数多くあるモアイの中で唯一、海を向いている珍しい7体のモアイ像がります。初期に築造されたモアイのなのでプカオ(赤色凝灰岩でできた髷=帽子のようなもの)が載っていません。
しかも、他のモアイはたち海岸線沿いにあるのですが、ここのはビーチから遠い島のほぼ中央=内陸に立っているのです。 モアイたちの見つめる方角にはホツマツア王がやって来たといわれるマルケサス諸島(フランス領ポリネシア)のヒバオア島があり、王が7人の従者(息子?)たちのを祀っているとも伝承されています。
さらに、モアイたちは単に海を眺めているだけではなく、春分・秋分には、太陽の沈む地点を見つめている天文学的裏づけがあるとの仮説もあるそうです。 もう1つの特色は他のアフの周辺には集落跡が見られるのですが、ここにはその痕跡がありません。
   

ラノララク(RANORARAKU)
ラノララク(RANORARAKU)
モアイの石切り場だったラノララク山(標高約200m)、ここで島のほぼすべてのモアイの石が切り出され製造されたそうです。 様々な様相のモアイ約400体が残され、あるものは切り出しの途中もの、削りかけの途中、完成間際のもの〜麓へ運搬途中で放棄されたものなど。山肌には、これらの放棄されたモアイが無数に散乱しています。
15〜6世紀ころから時間が止まってしまったかのように、そのままの状態で残されています。 さまざまなモアイを見れば、どのようにモアイ像が作られたのかその製造工程が良く分かります。
   

トンガリキ(TONGARIKI)

トンガリキ(TONGARIKI)
島の東部に位置するアフ・トンガリキは、ポリネシア随一の遺跡で、幅約100mものアフに15体のモアイが建ち並ぶ光景は、とても勇壮です。 1960年のチリ沖大地震津波によってアフもモアイも押し流されたのですが、1991〜95年に日本のクレーンメーカーである「タダノ(TADANO)」の協力により修復されました。
おそらく、ここには島最大規模の集落があったものと推測されています。 島の東側にあるため、モアイ像の間に昇る旭日を眺めることができるスポットでもあります。

   

アナケナ海岸(PLAYA DE ANAKENA)
アナケナ海岸(PLAYA DE ANAKENA)

椰子の木々が立ち並ぶ白砂ビーチがきれいなアナケナ海岸には2基のアフがあります。 アフ・ナウナウの7体のモアイは砂に埋もれていたため風化が進んでいなかったために1978年に復元され、土中に埋もれたモアイの目も発見されました。 白目はサンゴ、瞳は赤色凝灰岩で作られています。
アフ・アトゥレフキのモアイはホツマツア王を祀ったものだといわれ、1956年にハイエルダールと島民のペドロ・アタンにより復元されました。 この海岸には観光客だけでなく島の人々もピクニックしに来るので売店やや有料トイレもあります。
   

テピトクラ(TEPITOKURA)
テピトクラ(TEPITOKURA)
ここのモアイにはPAROという名前がつけられていて、島を訪れたヨーロッパ人の記録にも記されています。 このモアイPAROはアフに立てられた(※)モアイの中では最大級で高さ約10メートル、重量はなんと85トンもあります。 (※)切り出されたモアイではラノ・ララクにある22メートルのものがありますが、横たわったまま放置されています。
ここのPAROも、モアイ倒し戦争により倒されたままですが、これもタダノによる復元工事が予定されています。 尚、テピトクラとは光のヘソという意味。モアイPAROくんの近くには テピト・オテヘヌア(地球のへそ)とされる丸い石が置かれています。 直径75センチの丸い石の周りに丸い石が4つ並べられ、その周囲は円形の石垣になっています。一説によるとホツマツア王がここにマナと呼ばれるパワーを秘めた丸い石を置き、世界のへそ=中心としたそうです。

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